VAR

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サッカー好きの私としては、素人ブロガーと言えども、この問題を無視できなくなってしまった。

というか、出始めから気に食わなかった。

 

なぜなら、サッカーはレフェリーも含めて「サッカー」で、当然レフェリーもミスを犯す。

時としてそれが、中東の笛や2002年ワールドカップのイタリア戦のようになってしまうこともあるが、それ以降は改善されていたように思うし、レフェリーたちも日々、改善と向上に努めていた事だろう。

 

そんな最中に登場したVAR。

もはや審判たちは不要なのでは?と感じさせるほどで、当然、今回騒がれている「細谷の1ミリ」も、審判たちを亡きものにした。

 

ダラダラ書いてしまう前に言いたいことがあり、「三苫の1ミリ」には都合よく喜び、「細谷の1ミリ」に激怒するのは、いささか都合が良すぎると思ってしまう。

それに、スペインとの得点差を見れば、たとえあの同点ゴールが決まっていたとして、結果は大きく変わらなかったのではないかと感じている。

しかし、2022ワールドカップの「三苫の1ミリ」に関して言えば、あれがなければグループリーグは突破できていないと思うし、今回とその場面を比較するのであれば、日本は国際大会において、VARの「恩恵」を受けている方であると考えるのが、今のところ適切に思う。

 

さて。すでにダラダラ書いたが、VARはサッカーをどう変えるのか。

もっと大きな枠組みで捉えるのであれば、私たちはVARというなの「AI」と、今後さらに深みを増して付き合っていくことになる。

VARが行き着く先はなんなのか。

そして、それは「サッカー」「フットボール」と呼べるのだろうか。

そんなことを考えながら、VARの見解を、勝手に、そして傲慢に書いていく。

目次

VARはサッカーをつまらなくしている。今のところ。

VARを導入して間もないこともあり、まだ基準や整備が整っていないようだが、VARが消し去った数々のスーパーゴールがどれほどあるだろう。

 

あれは数年前のレモンガススタジアム。

引退してしまう前にどうしても見たかった「イニエスタ」

1−2で迎えた後半アディショナルタイム。

直接狙える位置でのファウルで、キッカーはイニエスタ。

右足から描かれた鋭い弾道は、相手の壁にあたりつつも、軌道を変えゴールに吸い込まれた。

 

ホーム&アフェーが入り乱れた大きな歓声から感じる

「ここにイニエスタあり!!」

 

しかし、そんな熱気最高潮の会場を、一瞬で凍りつかせた奴がいる。

そう。VAR様だ。

 

最終的には武藤選手の「ハンド」ということだったが、あのシーンで副審がそれを見抜くのは難しい。

壁に当たったボールが武藤選手に当たり、軌道を変えてゴールに。

確かに手に当たっているが、意図したものではない。

意図したものでないとしても、オフサイドなりハンドの可能性は確かにある。

しかし、それを人間の目で判断するのは難しかったし、「サッカーを盛り上げる」という観点からも、あれがゴールだった方が、次回スタジアムに足を運ぶお客さんは増えるだろう。

 

「公平」と「エンターテイメント」

これは融合できないのだろうか。

それ以外にも、スーパーゴールが取り消されるたびに、サッカーファンとしては萎え続け、ちょっと嫌いになりつつある。

 

長くなるが、2023年のコンサドーレ札幌対アビスパ福岡の、浅野選手の超ロングシュートからのアビスパPKという、伝説的に意味不明なVAR介入には怒りしかない。

スーパーゴールが取り消され、結構時間を巻き戻し「ハンド」の判定。

確かにコントロールが乱れ、腕部分に当たってはいるものの、特にディフェンスに寄せられていたわけではないし、「プレーの範囲」という判断もできる。

ディフェンスに寄せられ、プレー最中ならば理解できるが、そういう場面ではなかった。

VARの利点

当然欠点ばかりでもない。

「公平」「公正」という面から、VARは力を発揮する。

 

ゴール前での混戦でのオフサイドやハンドは、「公平」という側面から、非常に優れている。

誰かが触ってしまったオフサイド。

シュートが完全に手に当たっているPK。

 

今までは泣き寝入りするしかなかった場面も、VARにより選手も視聴者も「納得のいく」結果になっているのではないだろうか。

スタジアムで見ても、ホームサポーターから「これは仕方ない」と思えるシーンもあるのではなかろうか。

このような面でいけば、VARはサッカーをより公平にし、モヤモヤを無くしてくれている。

求められるのは「完璧」なプレー

改めて、今回の「細谷の1ミリ」を検証するのだとしたら、選手たちに求められるものは、一寸の狂いもない「完璧」なプレーであろう。

そのうち、シュートが指にかすっただけでもPKになるかもしれないし、すでになっているかもしれない。

ペナルティーエリア内では、ディフェンダーは常に後ろで腕を組み、そのままスライディングしかねない。

 

攻撃陣も常にオフサイドに怯え、VARを確認した後にゴールパフェーマンスをするなんていう、出てきたラーメンを冷ましてから食べるような状況になりかねない。

それとは別に、ゴールではなく、相手の腕を狙ってボールを蹴れば、VARが完璧にPKを取ってくれる。

だとするなら、シュートをゴール目掛けて打つ必要はない。

 

ゴール前で、相手の足にわざと足をかけてPKをもらっていた、ラウタオ・マルティネス。

南米の「マリーシア」も、VARによって。

「悪いことしちゃダメよ!」と叱られ、それでもこっそり悪いことしちゃう子供を監視カメラで見ている母親のようになる。

例が分かりづらいが、要するに、「つまんねーーー」って事。

VARが社会に導入されたら?

これをそのまま現代社会に持ち込んだらどうだろうか。

隠れて鼻くそをほじっただけで笛を吹かれ、すかしっぺしただけでイエローカード。

バンザイしたと見せかけて脇の下を嗅いだら、VARが介入され。

トイレから出た後、10秒でもチャックが空いてようものなら、レッドカード。罰金に処す。

 

これは大袈裟かもしれないけど、やっていることはそういうこと。

もし、細谷選手のプレーを「オフサイド」と、今後も判定するのであれば、私たちが住む世界もそうなりかねない。

そして、AIは完璧だけど、人間は完璧ではない。

完璧だと思う大谷翔平選手ですら、打率は3割が限界で、ピッチャーでもヒットもホームランも打たれる。

 

AIが進化すればするほど、人間が完璧ではないことに気づく。

完璧にやってほしいAIと、絶対完璧にはできない人間。

その乖離が、今後社会の混乱・ストレスを招くのは容易に想像がつくし、すでに侵食されている。

 

人間は「完璧じゃない」

 

でも、「だからいいんじゃない?」

と思う。

賄賂もらって、わけわからん笛を吹くのも、「らしさだろう」と思ったりする。

 

レフェリーがたまたま目をそらしていたり、逆光だったり、実は試合中にコンタクトが外れて、よく見えてなかったりとか。

V・ファーレン、下平監督が、選手よりも先にアキレス腱切ってみたりとか。

完璧じゃないから楽しくて、ムカついて、協力して、面白くて、また同じ事を起こして、また改善していく。

 

確かにVARが及ぼす影響は大きい。

しかし、人間のそんな「不完全」が織りなす「サッカー」「フットボール」でもいいじゃないか。

と改めて思う。

 

サッカーだけでなく、今後はさまざまなスポーツ、仕事、日常生活に「AI」が容赦無く参入してくる。

そんな時代の進化と劣化を、今後も楽しみにしたいと思う。

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