ただ好きなだけ

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テレビをつけると、あっちもこっちもパリオリンピック一色。

今大会も、さまざまな栄光と挫折が入り混じり、それがドラマとなって、視聴者の心を揺さぶる。

阿部詩選手の敗戦に、否定的な意見が殺到したとか、兄が仇を取ったとか。

堀米選手の大逆転、細谷の1ミリなどなど。

 

そのシーンの数々に、自分たちは一挙手一投足に意見を投げつけ、自分の正当性をアピールする。

そう、まさに今、それをしているところだ。

 

でも、オリンピックを見ても、これから始まる甲子園を見ても、感動と同時に生まれてくる感情がある。

それは「悔しさ」だ。

 

何をそんな、突拍子もないことをほざいているのだと思うかもしれないが、その栄光にしても挫折にしても、汗と涙を流せる環境があることに対しての「悔しさ」だ。

これといって、栄光も挫折もない人生。

淡々と仕事をして、ご飯を食べて、寝る。

それ自体も、人生としては素晴らしいものだと思うこともある。

 

「当たり前」すぎて、そこに幸福感を覚えられないかもしれないが、日曜の午前に、隣で一生懸命宿題をやっている次男を横目にブログが書ける生活を、「幸せ」と呼ばずに、なんと呼ぶのだろう。

現実としては、移住後、自身の仕事がなく、社会人生活20年を迎えようといているが、今が一番貯金も収入もない。

そんな環境下でも、「幸せ」を感じることはできる。

 

だとするならば「命をかけられるもの」「感動できること」なんていうのは、贅沢でしかないと思うこともある。

そして、この「懸けられるもの」なんていう抽象的なものは、向こうからやってきてはくれない。

「はい、私があなたにとっての懸けられるものです」

と、現れたものが風呂洗いだったら、あなたは受け入れることができるだろうか。

 

きっとそれは、探し求めてもいないと感じている。

なぜなら、「すぐそこにある」と思うから。

 

もはや、自分じしんにとって当たり前すぎて、「懸けられるもの」と認識していないだけかもしれない。

昔から一緒にいるのに、見て見ぬ振りをしていないだろうか?

ずっと近くで、小さい声で懸命にアピールしているのに、「お前ではない」と視野から消してはいないだろうか。

 

そんな風に考えると、自分も多くのものを無視し、ちゃんと向き合わず、抱きしめてあげることもないまま放置し、捨てたものがたくさんある。

そして、この「ブログ」というものも、その一つだ。

 

「こんな金にならないことを続ける理由はなんだろう」

「これを続けても、金メダルはもらえない」

「有名にはなれない」

「ただの無駄な時間」

 

そんな言葉が自分の中で生まれ、メディアを通すと、あまりにちっぽけな自分の手持ちのカードに愕然とするのかもしれない。

そうして、YouTubeの中の、自分でも届きそうな「成功者」に助けを求め、コンサルに高額の支払いをする。

そう。私のように。

 

いつもブログを書くと話がそれて、目的地ではない島に到着するか、波に流され漂流する。

これが仕事や本当の海なら死を覚悟するが、波まかせ、風まかせに書けるブログは、本当に楽しい。

40歳まで、カウント3に入り始めている。

特別40歳に何かを見出しているわけではないが、一応人生の折り返し地点手前くらいだろうか。

 

私は人生をサッカーに置き換え、「90分=90歳」としている。

なので、90歳以上はアディショナルタイムで、いつ死んでもいい。

逆に、なんとか90分間、途中交代なく走り続けたい。

それが結果として「負け」であっても、「良い試合だった」と納得できるなら、それでいい。

 

そんな、小学校1年生で始めたサッカーも、「ただ好きだから」

お金にならず、有名にならなくても、ひたすら続けている。

 

人生の勝ち負けがあるかは分からない。

とりわけ、「高収入」というカテゴリーに分類されれば、それは「勝ち」なのだと思う。

 

一方で、「心の豊かさ」という面では、収入とイコールにならないらしい。

私の父はコンビニ経営をしていて、一般的な会社員の方よりも多くもらっていたと思うし、仕事もスタッフに任せ、ほとんどしていなかった。

けど、いつもいつも不満と陰口ばかりで、とうとう親子の縁が切れるまで、それを貫いた。

 

そんな思い出話なんて、クソだ。

クソ中のクソ。

 

高収入になったことがないから、高収入と心の豊かさの関係は分からない。

お金を手にしてから、「人は金じゃないんだぜ」

と、ドヤ顔で言えたら大したものなのかもしれないが、今のところ、私の中のジャムおじさんがその顔を作る気配はない。

 

今日もすっかり漂流ブログとなった。

当初予定していた島には辿り着けず、何もない無人島にたどり着いた。

ここには何もない。

誰もいない。

 

だけど、楽しい。

 

自分が見えていないだけで、この小さな船には、今も一緒に航海してくれているものがある。

捨てようにも捨てられなかった。

捨てたつもりでも、ずっと側にいてくれているものがある。

 

そんな、大好きで大切なもの

 

を、この歳になって今一度、正面から向き合ってみようかな。

なんて、書きながらそう思っている。

 

「ただ好きなだけ」

いいじゃん。それで。

 

どれもこれも「ただ好きなだけ」

結果?

もういいよ。そんなものは。

 

「後から付いてくる?」

もういいよ。そんなものは。

 

「ただ好きなだけ」

「ただやりたいだけ」

 

人生は有限。

やりたいように、やったらいいじゃない。

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