これまでの人生で、「目標」なるものを設定・掲げたことはない。
心の中で漠然とあったかもしれないが、それほど強くない目標というか、意思の弱さの影響が強く、ただ時代と生活に流されたまま漂流した末、なんとか今に着地した。
振り返ってみると、自分乗っている小さな船にとっては、それなりの荒波だったらしい。
手元には、もう殆ど残っていないが、それでもかろうじて残ってくれたものを、今後は大事にしていきたいと思っている。
ここで自分のしょうもない目標を公言するのは、あまりにもショボ過ぎて避けたい。
自分自身との戦いなのだから、わざわざ外に出す必要もないし、心にひっそりと宿しながら、淡々と目指していきたいと思っている。
しかし、こうして自分にとっては「無謀」とも思える目標を設定すると、自分の中で「なんで目指すの?」「達成して何がしたいの?」
なんていう言葉の数々が聞こえてくる。
「そんなショボい設定を比べて何になるの?」
そんなビサイドランスに耐えながら、日々できることを模索している。
そんな言葉が頭をよぎるために、言い聞かす言葉がある。
それが
「理由なんてない」
だ。
そこを目指したい。
そこにいきたい。
それだけではダメなのだろうか。
何か理由が必要なのだろうか。
「それやって何になるの?」
「そこ行ってどうすんの?」
たどり着いたことがないのに、その答えを見つけることなどできない。
もし、そこにたどり着いていたのなら、それだけですごいことだし、そんなことはたどり着いてから考えればいい。
とにかく、いつもいつも、それを「辞める理由」を考えている。
なんとかして歩くのを辞めたい、苦しいのを辞めたい、虚しいのを辞めたい。
どんな正当な理由を並べても、そこにはいつも「辞める理由」しか並んでいない。
そうして、まんまとその「正義」の言葉通り。
この虚しく、日々変哲のない、地味な歩みをやめる。
その後の行き着く先は同じ。
テレビを目の前にして、自分よりも遥かに努力をして積み重ね、苦しんできたアスリート達に、あぁだ。こうだと。訳のわからないことをSNSで発信し、何もない自分をなんとか正当化して、人生を過ごすのだろう。
そんな人生を送りたくなはい。
とは言っても、これまで漠然と生きて、前述した人生を寸分の狂いなく送ってきた。
だからこそ。
コツコツと、目標にたどり着くために日々何かを積み重ねていく。
だから「なんで?」
「理由はない」
理由なんていらない。
「やる」「目指す」と決めたことを、ただやるだけ。
ただただ、そこを見据えて、今日一日、ティッシュほどの努力を、ヒラヒラ1枚積み重ねる。
できることは、至極小さくても。
何もしないよりずっとマシだ。
この誰も見ないブログを続けるにも、理由はない。
ブログを始めるときの目標を、「やめない」ことにした。
ただそれだけ。
時間の無駄、金にならない、意味がない。
その全てが正解だが、「好き」という名の元に、ブログも辞めるつもりはない。
もう一度、言い聞かす。
それを目指すこと、それをすることに、理由なんていらない。
ただやるだけ。
ただただ。やるだけ。
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