世帯持ちのアラフォーが、関東から東北移住。1年経って感じる、3つのメリット。

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もう一年。

いや、やっと一年?

 

いずれにせよ、1年が経過した。

思うことは色々とあるけども、今日も自分の整理と共に、ブログを書いていく。

目次

幸せを感じる

時間に忙殺されていた

移住して1年が経ち感じることは、時の流れが緩やかになった気がする。

24時間、365日は変わらないのに、時の流れが関東と比べると遅い気がする。

 

もちろん、自分がフリーランスになって、収入が減ったものの、時間が増えたのは確かで、その証拠に、朝からゴミ捨てついでに散歩をして、朝シャワーをして、現在9時前。

コーヒーとナッツと共にブログを書いている。

 

けど仕事云々より、「環境の違い」という方が正しい。

それが何かというと、

 

圧倒的な人口の差。

 

神奈川には狭い土地に900万人が住みつき、隣の家との距離が1メートル以内なんてざらな話。

外に出れば人が溢れ、電車に乗れば、戦うおじさんたちの二酸化炭素が充満していている。

時期によってはメガネが曇り、でも満員だからメガネが拭けず、曇ったまま「フーフー」している人を幾人か見たことがあるが、振り返ると恐怖だ。

 

街ゆく人たちも時間に追われ、スピードがはやい。

高いビルやマンションがそびえ立ち、圧迫感がある。

すれ違いざまに、睨まれたとか、肩がぶつかったとか。

今なんて、どんなに睨んでも、目が合うのはカラスかサギだってのに。

 

そして、ここはというと。

人は少ないし、空が広く青い。

人口が少ない分、仕事量も比例して少なくなる。

どんなに目つき悪く歩いても、目が合うのはカラスかサギくらいで、肩をぶつけようにも相手がいない。

 

仕事に追われ、知らぬまに競争に巻き込まれ、自分を見失ってしまう。

けど、今は空を見上げて、吸いたくて空気を吸う。

仕事をして、家族揃って食事をする。

移住前とやっていることは変わらないのに、「幸福度」には雲泥の差がある。

 

移住したことが「正解」かどうかは、はっきりは分からない。

でも、ただただ今この瞬間「幸せだ」と感じられているのであれば、それは「正解」なのだと思う。

空気・水が綺麗

あれ、水道水が…

田舎に行けば当たり前なのかもしれないが、関東を離れてみると、この「当たり前」の重要性を認識することになる。

移住して一番最初に気づいたのは「水道水の味」で、カルキ臭が全くしない。

もちろん塩素は入っているのだろうが、独特のカルキ臭がしないことに驚いた。

 

だから、田舎の水が綺麗かどうかは、専門的な人が見ないと分からないと思うけど、「五感的に」そう感じる。

雰囲気に飲まれているわけではない。

実際、周囲を見渡せば山に囲まれ、雪が降り、その雪解け水が流れてくる。

近くにダムがあるわけでもない。

聞くところによると、今住んでいる地域は、地下水から水を引いているらしく、上水の水道代が安い。(年間2万前後)

あれ、花粉が…

それに加え、この空気。

積極的に吸いたくなる空気がここにはある。

都会の排気ガスやビルやコンビニから出る、汚れまみれの空気ではない。

 

「自然」の匂いがする。

冒頭に言った通り、田舎に行けばそれが当たり前なのだが、その「当たり前」が「普通になる」ことが、とてつもなく重要なことだと思う。

そして、最大の特典は、「花粉症が発症しない」こと。

 

小学校4年生から苦しみ続けた花粉症が、移住してから出ていない。

去年は4月に移住したから分からなかったが1年が経過して、全くと言っていいほど症状が出ていない。

しかも、家族全員。みんなひどく苦しんでいたのに。

先々週くらいに花粉を感じて、薬を3粒ほど飲んだものの、関東にいた時のように目が腫れ、熱っぽくなり、仕事に集中できなくて、顔を洗う。

みたいなことは、まずない。

 

ただ、3月まで雪が降りやがるので…

花粉が飛ばない。飛びにくいのもあるが、理由が何であっても、花粉症に苦しまないのは最高だ。

「たった1、2ヶ月でしょ?」

その1、2ヶ月の苦しみが解消されるだけでも、幸福度は上がってしまうらしい。

自分を見つけられる

孤独という幸せ

自分の場合、妻の両親と、妻の友達数人以外の知り合いがいない。

言うても、妻の両親と仲良く話すわけでもないし、妻の友達と仲が良いわけでもない。

 

妻と家族以外と話す機会はほとんどない。

故に「孤独」を感じることもある。

配達の仕事も基本的には1人だし、運転している間も、きっと何かを考えている。

一般的には、それを「内省」と呼ぶらしいが、2年前に退職をしてから、自分の声をひたすら聞き続けている。

 

移住前も、それをやっていたように思うし、関連の啓発本もそこそこ読んだ気がするが、移住してからの方がずっと出来ている気がする。

結局、忙しく圧力の強い中で、空き時間に内省しても、一時的なストレスは軽減できたとしても、「根本的な原因」の解決に至っていない。

転んで絆創膏の質や、絆創膏の貼り方を考えるより、「転ばない方法」を考えないといけないのに、いつもキズパワーパットにしようか、ダイソーでいいかとか。

そういう話になっている。

 

時間や競争から解き放たれ、蜘蛛の巣のように煩わしい人間関係を切り離し、田んぼの「田」の字の真ん中に、ポツンと立ってみる。

すると「天上天下唯我独尊」って気分になる。

大袈裟に言った。

 

自分より賢い人。収入が多い人。顔が良い人。センスの良い人。努力ができる人。

そんな人は、この世界に腐るほどいる。

 

そんな事はわかっているのに、自分たちは常に「誰か」に憧れ、「誰か」の真似をする。

そして、苦しむ。

「なぜ、あんな風になれないのだろう。できないのだろう」

 

自分自身も、完璧に拭えてはいない。

むしろ、散歩をしながら、「あーじゃない。こーじゃない」と自分を苦しめている時もある。

 

けど、ふと見上げた空は広く、青い。

周囲には誰もおらず、だだっ広い土地に、小さいおっさんが存在しているだけ。

 

誰の真似をするわけでもなく、誰かと競争するわけでもなく、ただただ「自分を生きればいい」

誰にもみられなくても、評価されなくても、1円にもならなくても、ブログを続ける理由がここにある。

多くを望む必要なんてない。

もう、十分に持っている。持て余すほどに。

まとめ

今回は「メリット」についてだったが、当然デメリットもある。

それは次回書くとして、移住してから「幸せだ」と思える回数が増えたのは確かだ。

実際、幸福度も高くなっていると思う。

 

でも、絶対「完璧」にはならない。

何かを得れば、何かを失う。

メリットとデメリットの比率が高い方が良いだけの話で、100対0になるなんて事は、絶対にない。

 

移住して感じる「幸せ」

その「幸せ」は足し算ではないことを痛感する。

 

「当たり前」にあるものを見落とし、遠くの「何か」を追いかける。

繋いだ子供の手。

痛がっていることも気づかず、遠くの「何か」のために走る。

子供に話をかけられても、右から左へ流し、ひたすらスマホと睨めっこ。

 

その遠くの「何か」を得られた時に、周囲には誰かいるだろうか。

いつの間にか、手を繋いでいたはずの子供もおらず、連絡先すらわからない。

そんな状況にはならないだろうか。

 

「今。ここに幸せはある」

そう感じさせてくれたのが、「移住」であり「田舎暮らし」だ。

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