フリーランス。
聞こえはいいが、やっているのは「軽配送業(アマゾンフレックス)」で、プログラミングや英語といったような、知識を使ったものではない。
ひたすら配達をする、「体力仕事」
それでも、なんとか1年半以上が経過し、次のステップとして、せどりを始めたりと、「自分なり」の生活を構築している最中だ。
とは言え、「稼げている」と言うには程遠いどころか、一般的な会社員の半分ほどの収入となっている。
それでも、「フリーランス」として継続する理由を、自分なりのアプトプットの時間として、書いていく。
①そうせざるを得なかった

転職コーディネーターに喰らった、角度のボついたボディブロー
「ぱんにゃさんのご経歴ですと、100社受けて1社受かれば。と言う感じですので、とにかく履歴書を出しまくって、面接まで行きましょう!」
仕事を辞めて2ヶ月ほど経過した後、「転職サイト」に登録をした。
そして、転職こーでぃねーたーという肩書きのお姉さんに言われた言葉がこれだ。
一発目から公開処刑とは、思ってもいなかった。
1ラウンドの開始早々にくらった、角度のついたボディブローが、ラウンドを重ねるごとに効いてきた。
この言葉が、自分にささやく。
「お前は社会から必要とされてはいない」
「お前を欲しがる企業などない」
アラフォーで、ほとんどの時間を「コンビニ店長」として費やしてしまった自分が行き着く先はないらしい。
メンタルから来る体調不良
動悸がして、「あ、気絶するかもしれない」「死ぬかもしれない」
そんな「パニック障害」のような症状に悩まされていた。
「ようなもの」と言っているのは、実際に病院に行ったわけではない。
いざ行こうと思い、行きつけの病院に行ったら先生がおらず、そこにいた看護師さんが、「病院に行くよりも、生活を改善して対応した方がいいよ。」と、何気なく言ってくれたのだが、そのおかげで今がある。
どこぞの知らないヒーローが助けてくれた。
話が逸れてしまったが、心から感謝している。
電車に乗ると動悸がする。
だから通勤ができない。
美容院、歯医者、ひどい時は高速道路や旅行先でもなっているし、旅行が台無しになったこともある。
今思えば、ストレスがかかりすぎていたのだろう。
そんな「普通」のことが、出来ないほどに。
3ヶ月で逃げ出した保険会社
そんな自分も、フリーランス(軽配送業)が嫌で、なんとか仕事を見つけようとしていた。
そこで、たまたま人伝に声をかけてもらい、とある保険会社で働くことが決まった。
面接もあってないようなもので、さらっと入社し、そこから2ヶ月は座学。
保険の歴史や基礎を学び、テストを受け、本テストに合格して、いよいよ保険スタート!
と、なったが、毎日同じ時間に、同じ場所に行く。
同じ時間にラジオ体操が始まり、同じ時間に「所長」なる人の長い話が始まる。
「え、タイムループ?」と本気思うくらい、毎日同じような話が始まる。
もはや、一度フリーランスを経験してしまった自分にとって、その生活の息苦しさは想像を超えていた。
それと同時に、思ったことがある。
「もう、普通に勤務はできないな」
あれだけ嫌だった「フリーランス(軽配送業)」という仕事が、とてつもなく自分に合っていることを痛感してしまった・
そして、自分の適応力の低さが最低で、わがまま力が最高であることを認識した。
ついでの話をすると、自分は「保険」には入っていない。
ネット保険の生命保険と、共済で、月に5000円くらいだが、それで十分だ。
保険会社の内容を知ってしまうと、申し訳ないが「悪質」と言わざるを得ない。
「命を人質にした、合法詐欺」と、友人に言われたが、あながち間違ってはいなかった。
家族以外にも、親戚や友人の個人情報を売らないといけないのが、苦痛すぎた。
その上、「少しでも払う金額を高くさせる」というやり口が、なんとも言えない。
契約を取ればご褒美が貰えて、ボーナスも退職金も、めちゃくちゃもらえるのが保険会社だが、そのもらっているお金はどこから出ているのか。
どこかの国のやり方と同じだ。
②究極的に鬱陶しい人間関係

人と関わりたくない
地元で仕事をしていた。
退職をしてから、失業保険をもらい、半年間ほど無職生活が始まった。(早く仕事をしようと思ってはいたが、失業保険が切れるまで、引きこもってしまった)
2ヶ月目くらいに、生活習慣お乱れからか、とてつもない動悸が起きた。
外に出ないから夜は眠れず、睡眠薬をもらいながら生活をしていた時期がある。
「これはまずい」と病院に行ったのだが、先述した通り、精神科には「行かない方がいい」と止めてもらい、運動をするようにした。
しかし、朝昼は人目が気になってしまう。
知り合いに会って「今何してるの?」と聞かれたり、知っている人とすれ違うことが苦痛以外のなにものでもなかった。
だから、必ず暗くなってから運動するようにしていたのが、人と関わるほどストレスが溜まる。
だから、人との関わりは最小限にしたいと誓った。
マイペースに生きる
全てがマイペースにはいかない。
それができるのは、それ相応の資産を持っていて、今後一切働かなくて良い状態になった人だけだ。
それでも、「ある程度」はマイペースに生きることはできるらしい。
仕事の「する・しない」を自分で選択できているし、誰かに命令されるわけでも、するわけでもない。
ただ、今のところ、その「自由」と「安定(収入」は反比例してしまっている。
自由になればなるほど、収入が減ってしまっている状況ではあるのだが、そこに手を打とうと、「マイペース」に取り組んでいる。
「とりあえず」仕事に向かい。
毎日8時間、休憩1時間、残業があるとかないとか、休むのに許可がいるとかいらないとか、誰に報告するとか。
そこから、今のところは解放されている。
生活は楽ではないが、心は穏やかにいられる。
生活は楽ではない?
一日3食食べて、風呂に入って、ベッドで寝ているのに?
この感覚に、とてつもない違和感がある。
『孤独』という効率性
基本的に、家族以外の人と話すことはない。
唯一、親友をあげるとするなら、チャットGPTだろうか。
「孤独」を感じることもしばしばあるが、今はそれが独創的で効率的であると思っている。
そのせいだろうか。
これまでより、さらに頑固になり、頭でっかちになったと感じる。
でも、田舎の低収入アラフォーが頭でっかちになったところで、なんの被害もない。
東北でリトルグレイが発見されたら、それは、頭が大きくなりすぎた俺かもしれない。
寂しい人間に思われるのかもしれないが、目的達成のために最短で進めるような気がしている。
いろんな人の価値観に触れると、何が正解かわからなくなる。
20代、30代前半くらいまでは啓発本を読み漁ったが、今は読むことはなく、めっぽう売ることのほうが多い。
YouTubeを見ても、SNSで画面をナデナデしても、成功者はたくさんいるのに、その答えはどこにもない。
そんな事に時間を割くなら、このくだらないブログを書く方が、多少なり自分のためになる。
少なくとも、遺書くらいにはなるだろう。
孤独は悪いことではない。
自分の心の声に耳を傾けて向き合う作業であって、人と関わらなくなったのは、生きるための成長というか、進化だと。
そう思っている。
③自由と責任

『自由』を感じる
フリーランスで軽配送業をしてから、「自由」を感じることが増えた。
出勤時間というか、荷物を集荷する時間は決まっているから、その時間に行かないといけないのだが、その後は配り終われば帰宅できる。
運転中もYouTubeでせどり動画やサッカー動画、対談動画などを見て、学びになっているような、いないような事をしつつ、マルチタスクで配達をしている。
ちなみに、首都圏でやっているときは、この余裕は一切なかった。
秒単位で動いていないと間に合わない時もあったし、走っていることが多かった。
それが、地方に来てからは、空が綺麗だからと途中で車を止めて写真を撮ったり、白鳥の大群を見つけて観察してみたりする。(配達に集中しろ)
その「自由」な感覚は、会社に勤めていると、なかなか得られないし、あったとしても、心のどこかで「サボっている」という認識が、まともな人ならあるはず。
でも、「個人事業主」なので、その心配をせず、胸を張ってサボることができる。(サボってはいないが)
付きまとう自己責任
病気や怪我があれば、仕事ができなくなる。=収入がなくなる。
という自己責任が必ず付きまとう。
そして、「仕事がない」という現象も起きるので、「なんで仕事がないんだ!!」と怒っても、残念ながらそれは「自己責任」となってしまう。
会社にいれば仕事があり、毎月決まった給料が振り込まれるが、個人事業主だとそうはいかない。
仕事がなければ「別の収入源」を模索しなければいけないし、そもそも備えておく必要がある。
「自由」と引き換えに「自己責任」は付きまとう。
「正しさ」ではなくて、「生き方」の話であって、これに正義も悪もないのだと思う。
自分の役割を全うできれば、それでいいのではないかと思う。
だって、「個人事業主」って言ったって、所詮は大企業の歯車に過ぎない。
それは会社員だろうが、フランチャイズオーナーだろうが、さほど変わりはない。
リードの長さの違いだと思う。
動かなくては始まらない
池の中の鯉のように、口をパクパクしているだけでは餌はもらえない。
餌がもらえそうなところを求めて、自分で動いたり、時には罠的なものを仕掛けないといけない。
どんだけ知識を高めても、それをアウトプットしなければ、見返りがない。
そっちに餌があるかわからないし、そのエサが口に合うか分からないけど、ここでじっとしているだけでは、物事は良くならないらしい。
もちろん、そこでじっと待ち、エサが来るのを待つスタイルもあるだろうが。
いずれにせよ、自分で動かない限りは始まらない。
少し振り返ると、コンビニの仕事を辞めたから、はや2年。
全てが「初めて」だらけだった気がする。
軽配送業も。個人事業主も。会計簿記も。移住も。せどりも。
嘆いていても始まらない。ってのが、これまでの生活との大きな違いだと思う。
まとめ

フリーランスになり1年半が経過し、つくづく感じることは、「自由と自己責任はセット」なのだということ。
ある程度の自由を得るためには、それなりに自分のことを自分でやらなければいけない。
当たり前の話だが、当たり前のようにできはしない。
その現実を直視しないと、文句ばかり言っては、元の鞘に戻ろうとする。
が、それだけはゴメンだ。
今はなんとか、アマゾンフレックスで、ある程度の仕事があるが、なくなると、主な収入源を失うことになる。
今の仕事に感謝しつつも、常に次の一手を考え、準備をし続けないといけないろ思うと、気が滅入る。
「あーめんどくさい。バイトした方が楽だ」
と、思ったことは幾度とあるし、今もその言葉が耳元で囁くこともしばしばだが。
そんな甘い言葉を振り切って、なんとか「フリーランス」として継続できるように、もがいているのが今なのだと思う。
感情のまま退職し、その分余計な苦労も多かったが、それはそれで良かったと思っている。
むしろ、あのまま我慢を続けていたと思うと、心的にも、人間的にも、おかしな方向のままでいたのだと思うと、ゾッとする。
あの時辞めたからこそ、今のように昼からポップコーンを食いながらブログを書く時間を設けることができる。
この、「1円にもならない」くだらないブログを。
収入は後からついてくると信じて、行動を起こす以外の道はないらしい。
比較的「自由」ではあるが。「余裕」ではない。
むしろ苦しい。
が。それは泳いでるのが、泳がされているのか。
今は、「自分の意思」で泳いでいると。
そう思いたい。
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