散々言うているが、仏教が好きだ。
「好き」と言うだけで、何かの宗派に属しているわけではない。
むしろ、「宗派」の意味が分からない。
なぜなら、本来、釈迦は1人わけで、その教えの「重要な部分」の認識の違いが「宗派」らしい。
最近は、ラジオの「笑い飯哲夫のサタデーナイト仏教」をSpotifyで聴いているが、全部を聴くことができないのが残念だ。
しかし、改めて聞くと、仏教は人間の本心を築いていると思うし、他の宗教と比べて決定的に違うのは「神がいない」と言うところだろう。
ラジオでも言っているが、仏教は「神頼み」をしない。
自ら「悟り」を開く教えであり、その悟りが、いわゆる「無」になってくる。
「無」とは、何にもとらわれない。と言うこと。
しかし、目標を設定して、そこに向かうことは「とらわれないこと」に大きく反することになる。
目標の「こうなりたい」「あれが欲しい」と言うのは欲望であり、煩悩だからだ。
だからと言って、目標も何も掲げないのが正解かと問われると、必ずしもイエスとは言い難い。(キリストか。)
これもラジオの受け売りで申し訳ないが、自分が「洗脳されている」と認識することが重要なのだと思う。
目標を掲げ、そこに邁進することは、ある種の洗脳だと思う。
あえて「洗脳」されることで、行動していくが、それもまた人間としての面白みだと思うし、きっと一日中瞑想しても、一日中洗脳されていても、行き着く先はさほど変わらないと思っている。
究極は、最後はみんな土に還るわけだが、歳を重ねてるのに、いつもイライラしていたり、人を見下すような人間にはなりたくない。
そう、自分の脳みその中に焼き付いている、お前と、お前とお前と、お前と。(意外といるな)
矢印を外に向けると、途端に人生はつまらなくなる。
なんでもかんでも人のせい。
禿げて、ダサくて、お腹も出て、醜い容姿なのに、「自分が正解」と言わんばかりのその態度はどこからくるのだろう。
部下に陰げ口を叩かれ、後ろ指をさされ、「こいつ、また同じこと言ってる。アホか」と。
しかし、「その上司と部下」という関係すら、もはやめんどくさいの究極体で、自分に矢印が向いていれば、人のことは気にならない。
自分が掲げた山頂目指して、黙々と歩き続ければいい。
でも、悲しいことに、「そんな自分はカッコ良いのではないか?」と思ってしまう自分が出てくると、途端に吐き気がする。
「自分はいつまでも下心ばかり」「ご褒美がないと行動できない」
Awichの「口に出して」を聞くと、思わず「ごめんなさい」と言いたくなる。
でも、残ながら心の底にある。
「自由が欲しい」「お金が欲しい」「格好良くなりたい」「モテたい」
こんな「くだらない」感情も、もはや素直に受け入れた方が、腑に落ちる部分もある。
話は変わり、みんなが楽しそうにしているのを見ると、冷めてしまう自分がいる。
と言うより、今の自分に自信がなくて、素直に一緒に楽しめないでいる。
でも、いつまで経っても、たとえ自分に自信があっても「一緒に」は楽しまないかもしれないが、完璧主義なのか、真面目なのか、ナルシルトなのか。
自分に厳しくして、ある程度の結果が出るまでは、その「楽しさ」を封印しようとも思っている。
「嫌なことなんて忘れて」「たまには現実逃避をして」
そんな言葉が頭をよぎりつつ、やはり今の現状に納得がいかない。
納得がいかないどころか、悔しさしかない。
なかなか出ない結果。
成長しない自分。
理想とする自分との差。
冒頭に戻るが、その「苦しみ」は、まさにこの煩悩で、これをなくせば、苦しみも消える。
でも、目標を掲げ、その煩悩に向き合う方向に舵を切った。
いろんな生き方があるが、その洗脳され、とらわれた人生も、一つの人生だと思うし、それを一生続けることはできない。
むしろ、「今」だからこそ、若くないけど若い。
アラフォーになった今だからこそ、ここに辿り着き、目標を掲げ、自分が進みたい道を見つけられたのかもしれない。
目標を掲げる。
それをぶらさない。
自分より優秀な人など、腐るほどいる。
そんな意見も聞きたいが、決めた目標に捉われて生きようではないかと。
頑固、頭が固い。
それでもいい。
柔軟性は欲しいけど。柔らかすぎて勃たないんでは話にならない。
そこに行く。
そこに辿り着く。
なんと言われようと。
HIPHOPの歌詞の中で出てくる。
「覚悟を決めて人生を楽しめ」JNKMN
一直線が一番早い。
致命傷を与えられないのなら、多少怪我をしても、一直線が早いに決まっている。
よそ見をしない。
いつか笑える、。大丈夫。
でもお願い。
もし「それ」を達成した暁には。
どうか。どうか。
自分を認めてやってくだせい。
心のどこかで、自分を抱きしめてあげてくだせい。
そしてまた。
次の自分に向かって、動き出して。
そして最後は。
気持ちよく。
胸を張って死にましょう。
時間はまだある。
遅いことはない。
今からやればいい。
でも、今日はもう寝る。
そう「明日から」
このお決まりの文句が、今も人生の因果となっているのは、言うまでもない。
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