亀は亀らしく

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「あぁ。俺、亀だったのか」

40手前でそんなことに気づくとは。

気付かされるとは。

 

プチ自慢は、昔から足だけは早かった。

学年1位にはなれなかったが、蓮舫さんが味方についてくれるくらい2番手くらいだった。

リレーの選手とかね。

おっさんの昔の自慢話ほどつまらないのはない。

 

「それじゃまるでゾンビ」って、モニホさんに怒られてしまう。

誰だよって話だが、HIPHOPが好きなので、日本のHIPHOP好きなら、きっとわかってくれる。

気がする。

 

そんな話はさておき、自分は行動が遅い。

というか、成果が出るのが遅いのかもしれないし、それにかける熱意が低いだけなのかもしれない。

しかし、亀が情熱を燃やしても、陸地で勝つのはなかなか難しい。

 

「海にさえ入れれば」

 

って、その海とやらがどこにあるのか、わからない。

そんなわけで、周囲の人がどんどん自分を追い抜いていく。

 

「あれ、こんなはずではない」

と、思っていて、ふと鏡に映った自分を見てびっくり。

 

「え、俺、亀だったの?」

 

どおりで遅いわけだ。

周囲の人が早すぎるだけだと思っていたけど、自分が遅いのか。

しかも、亀じゃないと思ってたら、普通にサボってたしな。

 

コツコツ進むのが亀の美学だとして。

いやまて。

 

亀が「コツコツ」なんて、誰が決めたんだ?

それはおとぎ話の世界で、亀だって頑張れる亀と、頑張れない亀がいるだろ。

と、自分を甘やかそうと企んでいる。

 

あ、そうそう。

ふと思った。

最近、テレビをつけていて、ニュースのテロップに、「優秀な学生が集う大学」と出ていたのだが、じゃあ、ここの入れなかった学生は「優秀」ではない。

という意味なのだと思う。

 

きっと、この問題を指摘すれば、テレビは「そんなつもりで放映していない」というに決まっているが、あくまでも「優秀」な学生しか入れない大学らしく、「普通」や「ポンコツ」は入れないらしい。

このご時世に、未だにそのレベルであることが悲しい、結局はこの世の中は「優生学」には勝てないらしい。

IQが高くて、「一部の人しか入れない」とか。

そいつは賢いのかもしれないが、そいつが努力して獲得したものではない。

あくまでもギフトってやつだ。

 

でも、ないくわぬ顔でテレビに出ていると、思わずこれは嫉妬なのだろうか。

どんな感情なのか、自分でもわからないが。

ハッキリわかるのは、そいつが優秀ということではなく、自分がポンコツだ。ということなのだと思う。

 

そんなポンコツは今日もブログを書いている。

これを書く前にチャットGPTに、「金にならないブログを書く必要ある?」って聞いてみたら、想像通りの答えが返ってきて、特に驚きもなかった。

「つまらないならやめれば良い」なんていうシンプルな答えだったが、全くもってその通り。

 

周囲がうるさく感じることがある。

「俺の方が」「私の方が」

上を見ては妬み、下を見ては安心する。

 

そんな、よくわからない「競争」から抜け出したい。

根性は大事だと思う。

結局は、思いの強さが結果に現れるとは思うけど、燃え尽きて、全てを諦めてしまっては元も子もない。

 

スポーツなどは、早くに限界が来てしまうものなのかもしれないが、人生は意外と長いのかもしれない。

振り返ればあっという間だし。

自分があと数年で40歳を迎えるなんて。

同じように40年生きたら80歳。

老人じゃないですか。

 

ご老人には申し訳ないけども、きっとご老人の皆さんも、40歳の時に同じようなことを思ったのかもしれない。

いずれにせよ、そんなに多くの時間が残されているわけではないのだと思うし、自分自身も、すごい長生きをしたいとは思わない。

生きているのが辛く感じることもあれば、生きていけることへの感謝を感じることもある。

そんな毎日を繰り返しているような気がする。

 

冒頭に「自分は亀だ」と言ったものの。

きっと、そういう亀とかウサギとか、そういう話ではないのだと思う。

 

自分が遅いことを認識して、現実を直視し、それでもボチボチ人生を前に進めていくしか方法がない。

時間は片道切符だし、酸素を吸えば吸うほど、体は老いていくらしい。

だから、このひと呼吸ごとに、老けていくと考えれば、何がアンチエイジングだ。と言いたくもなる。

 

半分が水でできた化粧品に数万も払うなんて、ブラマヨくらい「どうかしてるぜ!!」って言いたい。

小杉さんじゃない方どこいった?

 

「人と比べるから辛い」

それだけの話。

 

けど、「比べずにはいられない」

その気持ちもわかる。

 

だけど、きっと比べたところで、「幸せ」は見当たらないと思う。

その比べている人より、自分の人生は情けないかもしれないが、日中に久しぶりに食べた無印のポップコーンは美味しかった。

眠いのに、なぜか寝ずに書いている、このブログも。

これは「幸せ」ではないのだろうか。

 

「小さい幸せ」「自分なりの幸せ」

それじゃダメなんだろうか。

 

もっと豪華で華やかで、YouTubeで「登録者1万人!!」とか、そんなことをしなければいけないのだろうか。

やっているせどりも、誰よりも高い売り上げで、誰よりも成果を上げなければいけないのだろうか。

そんな事をしていたら、大事なものをなくしてしまうような。そんな気もする。

 

「自分らしく」「自分の歩幅で」

そんな綺麗事が散りばめられた、本や音楽を読み聞きしたところで、競争に巻き込まれてしまえば、本当の声なんて聞こえない気がする。

競争そのものは否定しない。

むしろ、淘汰されるものは淘汰されるべきだと思うことすらあるが、自分が淘汰される側だと思うと、ちょっと勘弁願いたい。

 

が、あくまでもそれは「自然の摂理」だと思う。

人間社会だから、淘汰されないだけで、自然の世界であれば、強いものが生き残ってしまう。

競争に勝てなければ、滅びるか、場所を譲らないといけない。

こうやって言葉に出してみると、自分はその競争に勝てず、今ここにいるのだろう。と納得した。

 

ある意味、一番賢いのは「戦わないこと」だと思う。

なんなら、一番強いやつの下でイキるのが、一番賢い気がする。

ワンピースで例えるなら、自分で船を漕ぐよりも、大きい船で、「俺たちは白ひげだぜ!」とイキっている方が、きっと給料も地位も高い。

 

そう。もう漕いじまった。

もう、来た道には戻れないし、戻らない。

もう、だいぶ見えなくなったが、まだ薄らと見える。

いや、見えてしまう。

見ようとしてしまう。

 

でも、もうそこには何もない。

たとえ待っている人がいてくれたとしても、もう帰るべきではない。

もう同じことを何度も何度も繰り返した。

それに疲れた。

 

覚悟なんてものはないが、一種の「諦め」はある。

それは、自分が社会不適合で、「バカだ」ということ。

それだけは、ここ1年でよくわかったし、直近3ヶ月で確定された。

 

だから、このオンボロでダサい船を、周囲にバカにされながら漕ぐことにする。

妻と子供たちには申し訳ないが、そんな生き方しかできないらしい。

 

今日も一日、ダラダラいきた。

そんな1日が終われること。

そして、きっと迎えるであろう、明日に感謝して、温かい布団に入ることにしよう。

 

ご飯を食べて、お風呂に入って、歯を磨いて、安心で温かい布団で寝れる。

どう考えても幸せでしかない。

どうあがいても、幸せ以上の何者でもない。

 

今。ここにある。

それじゃダメか?

もっと、もっと必要か?

 

いや。

おりゃーいらねーわ。

 

もう、十分幸せだったわ。

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