ブログを書く。という逃げ。

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そう。逃うげている。

嫌なこと。つまらないことから逃げている。

 

「人の言うことが聞けない」「組織に順応できない」

と、ほざく割には、自分に厳しくできない。

だから、この現状に甘んじている。

 

何かに強制されることは少ない。

仕事があっても、いつでも休むことはできるし。

なければ苦しくなる。

必死に足掻き続けなければ、ウカウカ休んでもいられない。

 

そして、最近は「ブログ」に、現実逃避の矛先を向けている。

なぜなら、ブログは自由だからだ。

深く考えずに、思考の不要物を排泄していく。

それは一種の快楽とも言える。

 

話が変わるが、昨日書いたブログに「自分はアホだ」と胸を張って公言したし、いつもしているが、具体的に考えてみよう。

なんと言っても「欲望」を抑えられない。

ということだろう。

 

その裏返として、我ながら一番ひどいと感じる部分がこれ。

 

「今あるものを大切にできない」 

 

ということ。

新しいもの。もっと良いもの。と追いかけて、今あるものを大切にできない。

それは、家族を大事に思っているのに、家族を蔑ろにしている部分もある。

 

それは家族とか、そのほかの関わる、主に「人」には限らず。

これまでやってきた「コト」や「モノ」にも同じことが言える。

サッカーやら、ブログやら、いつでも使っていたリュック。

 

結果が出ないと、次から次へと新しいものに飛びついて、まだ使えるのに、もっと良いものを欲しがる。

そんな事を繰り返して、結局また同じ場所に戻ってくる。

一体、何週しただろうか。

本人は螺旋階段を登ったつもりだが、おそらく一段もこの景色は変わっていない。

長井秀和顔まけの。

「間違いない」

が、頭をよぎる。

 

新しいことへのチャレンジ自体は否定できない。

新しい世界に飛び込み、経験をすることで得られるものは大きい。

そのバランスが難しい。

 

いや、何も難しくはない。

基本ベースは「今あるもの」を大事にするべきだ。

その「土台」なしに、今の「自分」と保つことはできないし、保てたとしても、沼の上でジャンプをするようなものなのだと思う。

動けば動くほど沈んでしまうかねない。

 

「雨降って地固まる」

そんな言葉が頭をよぎった。

大雨から、少し小雨になってきただろうか。

完全に足元は固まってはいないけども、あの土砂降りのぬかるんだ地面からは、少しマシになったような。

そう思いたいだけなのかもしれない。

 

当然、完璧になんてなれやしない。

元々利口じゃない頭を使っても、利口な答えは出てこない。

痛みで覚えるしかないのが残念だが、なんとか痛みが致命傷になる前に、この問題を解決しないといけないと思っている。

それは一見簡単そうで、なかなか難しい。

だけど、やらないと次に進めないのだ。

 

すでに間に合わないほどの遅れをとっているのに。

いつまでも同じような事を繰り返していては、追いつけるわけがない。

 

そして、その解決方法は、結局は「覚悟」などといった、精神論にたどり着いてしまう。

だけど「覚悟」なんていうのは、曖昧なものに感じる。

別に誓約書にハンコを押したわけでもないのだから。

 

それでも、ここ数ヶ月。

右往左往しながら、自分の方向性をある程度見つけつつある。

わがままで幼稚な思考の、痛いおっさんなのは間違いないが、残念ながらその道しか残っていない。

だから「なりに」できることを、一生懸命、遠回りしながらやるしかないのだろう。

 

もう一度、自分に言い聞かす。

バカなのだから。アホなのだから。賢くできないのだから。

 

だからせめて、醜くも汚くも、それなりに一生懸命、遠回りをして、失敗をして、痛みで覚えていくしかない。

今、そう言い聞かせているところだ。

 

そして、今一度。

 

「今あるものに感謝し、大事にしていこう」

 

「その当たり前は、当たり前ではないのだから」

 

ふぅー。

疲れました。

 

今日も1日が終わる。

何もない、何気ない一日。

人生において、この1日は意味をなさないのだけど。

この積み重ねが、人生を彩っていくのだと思うと不思議だ。

 

最後、命が尽きるときに。

後悔と喜び、どっちが勝るだろうか。

最後は笑って死ねるような。

そんな日々を送ろう。

 

なーんてな。

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