自分のアホさ加減に、毎度のように呆れる。
「これで最後」と思っても、数ヶ月後には同じことを繰り返している。
この脳みそは、どうしたら「正常」に動いてくれるのだろうか。
考え方?精神統一?ありのまま?Let it go?
いずれにせよ、この「アホの極み」とも言える体質というか、思考というか、性格をどうにかできないもんかと思っている。
そんなアホな自分がいる一方で、自分もあながち捨てたもんではない。と思う出来事があった。
それが、今日、妻の大親友の誕生日パーティーを祝った時だ。
彼女は、中学生の頃に両親が離婚し、その後20歳を迎える前に、お母さんが亡くなってしまった。
自身も原因不明の病気にかかっていて、それが治ったり再発したりと、苦しんでいる。
それに加え、結婚がうまくいかず、DV被害などもあり離婚をしたが、家のローンと小さい子供2人が残され、今に至る。
そんな彼女が再婚をした。スピード結婚というやつだ。
彼は10数年前に別れた「元彼」で、今年に入ってから、どこかで偶然出会ったらしい。
女手一つで、家と子供を守り続けて、心身ともにボロボロだった彼女の元に、まさに「ヒーロー」として現れたのが彼だった。
彼も、別れてからこれまで恋愛をしておらず、彼女が結婚したことを噂話で聞いていたにも関わらず、ずっと心に秘めていたらしい。
その気持ちをどう捉えるかは人それぞれだが、巡り巡って今に至る。
人の幸せや不幸は、比較するものではないと思っている。
自分自身、その人自身が「幸せ」「不幸」と感じるなら、それがたとえ、他人からして「大したものではない」と思っても、その人からして大きなことなのだとしたら、そうを他人がとやかく言う必要はないと思っている。
だから、偉そうに人の人生に土足で踏み入って、偉そうに説教するような一部の人間が、個人的には大っ嫌いだ。
彼らなりの価値観ではあるのだが、お互い受け入れられない事など、腐るほどあるし、分かり合えないことが「当たり前」くらいに思っていた方が、気は楽なのかもしれない。
話が逸れたが、そんな彼女が、酔っ払い泣きながら言った。
「幸せだ」
その言葉には、結婚できて。彼にまた出会えて、子供たちが安心できて。
といった、あまりにも多くのことが、その一言に詰まっていた。
そして、その言葉を聞いた妻はもちろん、これまでの苦しい時間を知っていた自分自身も、心から
「良かったね」
と思えた。
冒頭で述べた通り、自分自身はひいき目に見ても「クソ」だ。
だけど、人の幸せを心から祝えることができて、少しほっとしている。
実際、誰かの幸せを目の当たりにした時に、心から祝えることは少ない。
少なくとも、多少の妬みが含まれて、心の底から祝福をあげれなかったりするのではないかと思う。
しかし、苦しみに耐え続けてきた彼女、それを横から支え続けてきた妻を横目に見てきたからだろう。
繰り返しになってしまうが「良かったね」なのだ。
移住して7ヶ月。
こっちの生活に慣れるには、まだまだ時間がかかる。
正直、「帰りたい」「戻りたい」と思うこともある。
だけど、こっちにはお金では買えない「愛」というものが存在している。
人よりお金を持っているのに、「愛」というものを一切持ち合わせていない人を、私は知っている。
その人は、いつだって「お金」を、まるでお菓子を取られたくない幼児のように、抱えていた。
そんな人々と一緒にいたくなくて、逃げるようにたどり着いたのがここだ。
相変わらず収入は少ないが、ここに来てからというもの、そればかりだ。
だけど、今日この日は、お金ではない、もっと大切で温かいものが間違いなく存在したと思っている。
そして、その温もりは、自然と一緒にいた我が子や、彼女の子供たちにも伝わったのではないかと思っている。
両家族とも、新しい人生を歩むことになった。
今はまだ底に近いかもしれないが、ここから少しずつ階段を登っていく。
彼女たちに何かあった時に支えられるように、自分たちもしっかりせねばと、そんな事を思った。
そして、また問いただす。
「自分」という名の最小単位。
移住して7ヶ月。
まだまだ後ろばかり見ている気がする。
「あの時」の屈辱。
「あの時」の恨み。
「あの時」の甘え。
前を向かなければいけない。
もう、そのどれもが、ここには存在しない。
そんなことはずっと分かっていたが、心の底から納得していなかったのかもしれない。
だけど、この目に見えない温かいもののためなら、もっと頑張れると思った。
「1人」で生きているわけではない。
孤独を感じることもあるが、実際は、家族や家族の友人たちに勇気づけられている。
その支えとは裏腹に、周囲との価値観や、蔓延ったルールや仕組みに苦しむこともある。
それとは「戦う」必要もあると思っている。
この「温もり」のためなら、戦えると思う。
戦う相手も、滅ぼしたいわけではない。
感謝はあるけども、「それはどうなの?」と、結果を伴って抗議したいだけ。
そしてそれは「自分は自分として」でしかできない。
誰かのやり方、誰かのモノマネはできない。
自慢できる肩書きや実績がなくても、「自分なり」にやっていかなければいけないのだと思う。
いつまで持つか分からない、このモチベーションも。
せめて今日、せめて今だけでも。
こんな感謝の気持ちを持てたのなら、過去と決別し、仲間のために前に進めるのではないかと。
そんな気がしているのです。
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