ちょっとした憧れだったのだろうか。
大きな船に乗った。
この船には、いわゆる「安定」というものが存在していて、乗っているだけで、ある程度の水準の生活が確保できる。
一方で、かれこれ1年ほど、いつ沈むかも分からない小さな船で、なんとなく見える、近くの島に向かって船をこき続けてきた。
一度、体調を崩せば、誰も船を漕いではくれない。
厳しい荒波が来ても、誰も助けてはくれない。
貧乏な風貌で、ヘトヘトになり、どこにぶつけていいのか分からない感情を抱えながら、なんとか船を進めてきた。
そんな矢先、隣の大きい船から声がかかった。
「そんないつ沈むか分からない船に乗ってないで、こっちに乗れよ!」
「別にいつでも、そっちの小さな船に戻ればいいし、なんなら、その小さい船も引っ張ってやるからよ!」
そんな優しい言葉をもらい、この大きな船に乗ることを決めた。
船に乗るにはいくつかのテストがあり、それに合格した後、ようやく船員室に混ぜてもらうことができた。
しかし、大きい船だけあって、組織がある。
その組織の中間管理職のような船員から、毎日のように言われる。
「お前は今月中に、でかい肉を2つ以上もってこい」
「まだか?いつ持って来れるんだ??」
「まだ持ってきてないのか?だったら家族からもらってこい」
どうやらその船員は、かれこれ40年近く、この船に乗っているらしい。
大先輩だ。
言うことを聞かない訳にはいかない。
でも、体は動かない。
それをしなければ、この組織で生き抜いていく事ができないのに、強烈な重力がかかったように、鈍い動きを続けている。
ここから、かろうじて見える、自分の小さな船が、なぜか恋しく感じる。
起床時間にきっちり起きて、ラジオ体操が始まる。
その後は、意味のないミーティングと、昨日の成果が発表され、まるでVHSの巻き戻しを繰り返したような毎日が続く。
そこに自分の「意志」はない。
中間管理職船員の前ではキッチリとして、いなくなった途端に陰口の応酬が始まる。
「どうやってサボろうか。」
「どうやって船内での評価をあげ、賃金をもらうか」
みんなそれに夢中だ。
どんなに理不尽な事を言われ、筋の通らない話をされたとしても、この船を降りようとする人はいない。
文句があり、ストレスを溜めて、体調が悪くなっても、その船の「安定」「安心」が重要らしい。
でも、その気持ちはわかる。
ここに居座りさえすれば。
この船内のルールと秩序を守り、結果を出せば、ご褒美がもらえる。
年を重ね、人並みに使い物にならなくなり、適当に島に落とされる時に、下船金をもらえるらしい。
そのためにみんな、この大きな船に、たとえ前歯が折れようとも、必死にかじりついて離さないのだと思う。
本当に、すごい根性と我慢強さだと思う。
というわけで。
「すいません。下船します」
とても短い間でしたが、やはり自分の船を、自分で漕ぎたいと思います。
目的の島は自分で決めますし。
醜い船の漕ぎ方、操り方かもしれないけど。
それでも、自分の行き先を自分で決めたいと思います。
きっと、一度、一人で漕いでしまったからでしょう。
もう、組織に順応することが出来なくなってしまったようです。
あれはダメ、これはダメ。
あれをやれ、これをやれ。
あれを持ってこい、これを取ってこい。
僕は奴隷ではい。
そう思う。
この船に乗っている人たちは、綺麗な髪、オシャレな服、高価な鞄、ブランドの靴。
みんな綺麗で、オシャレで美しい。
だから、美しい奴隷だと思う。
けど、自分は違う。
醜くて、汚くて、ギリギリの生活。
いつ沈むか分からない、ボロボロの船。
汚く醜いが小さい羽が生えていて、範囲は狭いが、それなりの自由が確保されている。
こんなお伽話をする時に、毎度のように行き着くのは、「どっちが正しい、間違い」ということではない。
という事。
それぞれの人生観。
生き方の問題。
失礼ながら、「奴隷」と揶揄しているけども。
自分からした一方では、そのような見えるだけで、もう一方から見れば、自分はカス中のカスにしか見えないのだと思う。
じゃあどうする?
前を向きましょう。
いちいち、上下左右の船を見比べる必要はない。
その大きい船でも、中型の船でも、小型でも、ダサい穴の空いた船でも。
それが「自分の船だ」
と、思えるなら、その船を信じて進むべきだと思う。
周囲を通る、立派な船から、失笑と哀れみの声が聞こえてくる。
「なんであんなダサい船に乗ってるのだろう」
「きっと、努力をして来なかったんだよ。我慢ができないんだな。おつむが弱いのだろ」
それでも、ただただ必死に、溺れないようにこの船を漕ぎ続けたいと思う。
格好つけではない。
こんな醜い生き方しかできないだけだ。
望んだ船ではない。
わがままを貫いたら、この船しか残らなかっただけだ。
「こんな船乗ってられるか!!」
そう思った。
けど、長い期間ではないけども、ここまで一緒に旅をしてくれた、この船が、今は愛おしく感じる。
それは、大きい船に乗ったからこそ、改めて感じることが出来る喜びなのかもしれない。
沈まないように善処はする。
だけど、沈まない保証はない。
それでも、なんとか必死にこの船を、あるのかないのか分からない島まで、漕ぎ続けたいと思う。
そのために、全力を注げるような。
そんな人生にしたい。
大きい船にも。
今の船にも、感謝を忘れてはいけない。
もう一度この船で。
いつ終わるか分からない旅路を、しっかりと苦しみ、そして楽しみたいと思う。
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