固唾を飲んで、その時を待った。
スタートラインに立ち、緊張の一瞬。
そして、ようやくスタートの銃声が鳴り響いた。
とてつもなく出遅れていいて、すでに周囲の人々は見えないが、ちらほらスタートしたばかりの人が見える。
まずは、その人たちに追いつき、追い越す。
「絶対に。やってやる」
でも、なぜだろう。
なんだこの違和感。
ノーパンで外に出たような、久しぶりにトランクスを履いたような、そんな違和感。
そして、今、スタートしたはずのレース中に歩みを止め、このレースを棄権しようと思っている。
ゴールが果てしなく遠いからだろうか。
それとも、そもそもこのレースは、望んだレースではないからだろうか。
もちろん、そんなことは気にせず、このレースの参加を楽しむくともできるが、このレースを何かに例えるとするならば。
「借り物競走」
だ。
周囲の人に声をかけ、指定された荷物を持っていないと先には進めない。
「持ってますか?ありますか?」と、笑顔で声をかける。
無愛想ではだめだ。
身だしなみを清潔にして、笑顔を心がけ、頭を下げ、相手に「それ」を持っているか確認して、さらにそれを貸してもらわないといけない。
笑顔の裏にある。
「己のための利益ため」に、このミッションをこなさないといけない。
己のために利益や、己のための見返りを悟られぬように、いかにも「あなたのため」という感じで交渉する。
「これを貸していただければ、これをお返ししますから。お願いしますよ〜」
「え。なにこれ」
「え。これ。違くない?」
「え、ていうか。ここじゃないの?」
自分に言い聞かせた。
「まずは、とにかくレースに参加しよう。レースに参加さえすれば、報酬がもらえる」
「参加さえしていれば体裁は保たれる」
そう言い聞かせた。
けど、違う。
自分が参加すべきレースはここではない。
これじゃない。
同じレースに参加するなら、少なくともこれではないが。
そもそも、レースに参加するのが、自分の目的だったのだろうか。
いや違う。
レースでも観客でもない。
気楽なバックパッカーのように生きたいのではないのか?
自分を押し殺し、解放され、見失い、決断し、迷い、苦しみ、今も答えは分からない。
でも、こんなことのために生きていたくはない。
このレースを否定する気は毛頭なく、一生懸命このレースに参加し、40年後にはれてゴールを迎え、大金を手にする人が多くいる。
その「ゴール」と言う名の「ご褒美」があるからこそ、頑張れるのだと思う。
でも、そんな先の事まで考えられない。
計画ができない。
気持ちが先に動いてしまう。
感情を制御できない。
自分には何度も問いかけ、説得をしたが、どんな言葉をかけても、首を縦に振ろうとしない。
もう、このやりとりにも飽きたな。
飽きたというか。
反吐がでる。
毎度のことだが、グダグダ書くのも疲れる。
このブログを消したいけど、自分の思い出にも、戒めにもなるだろう。
いつの日か、こんブログの全てが笑い話になることを祈るばかりだ。
いや、このままグダグダ書き続けるのもいいだろう。
どっちにせよ、いつか死ぬのだから、
なにを望むことも、悲観することもない。
ただ「続ける」
そのニュートラルだけを、今後も保ち続ける。
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