エネルギーの方向性

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この歳になって、はじめて明確な目標を掲げてみた。

今の自分からは、大それた目標なのだが、目指すのは勝手だと思っている。

 

以前、サッカー日本代表選手が、「目標は口に出して、自分にプレッシャーをかける」と言っていたのを拝見し、いつの時からマネしてやってみたが、ただの「ホラ吹き」と化し、ひたすらに情けなかったので、目標を口にするのは辞めた。

手帳などに、こっそり毎日書いている。

たとえ達成できなくても、恥をかく事はない。

ただただ、日々コツコツと、目標に向かって歩けばいいのだと。

そう言い聞かせていると、人生はそれなりに面白いのではないかと思ったりもする。

 

さて。

そんな人知れぬ目標を掲げ、なんとなく見えるような見えないような山の頂上を目指し歩いていくのだが、少し気を抜くと、目標とは違う方向に進んでいるように思う。

例えば、「サッカー選手」を目標に掲げているのに、なぜか毎日何時間もサッカーゲームをしてたりする。

eスポーツのサッカー選手なら分かるが、「サッカー選手」になりたいのなら、ボールを蹴らなければいけない。

 

「お金持ちになりたい」

そう言っているのに、休みの日やスキマ時間に、テレビやアニメ、漫画やゲームに耽っていても、同じことが言える。

収入が発生しない時間に、収入が発生しないどころか、電気代を消費するようなことをしていたら、おそらくお金持ちにはなれないのではないかと思う。

なぜ「思う」なのかは、自分がお金持ちになったことがないから、あくまでも「想像の範囲」なのであって、お金持ちになり方は、お金持ちに聞いた方がいい。

案外、こう答えるかもしれない。

 

「え?親が金持ちだからだよ?」 

 

そんな皮肉と妬みはさておき、「エネルギーの方向性」を感じることがある。

それが「警察24時」で、出てくる、駅で盗撮をして捕まる人だ。

これは「エネルギーの方向性」を話す上で、避けて通れない。

 

彼らは女性のパンティーを覗きたいがために、全身全霊を捧げる。

警察や周囲の人々にバレないよう、周到な準備をし、好みの女性を見つけ、チャレンジする。

想像だが、その後、ちゃんと撮れているかを確認し、うまく映ってないのであれば、「改善」する。

トライ&エラー、PDCA、トヨタも驚くほどの「KAIZEN」を繰り返しているのだとしたら….

 

「他のところにエネルギー注がんかい!!!!!!!!!!」

 

と、思うのは自分だけではないはずだ。

ましてや、警察に捕まった後に、猛ダッシュするとか。

そのエネルギーを平和に注いだら、世界は少し平和になるかもしれない。

 

はっきり申し上げて、これはエネルギーを注ぐ方向性として、大いに間違っている。

自分の欲望のために、誰かを不快にして、迷惑をかけるのだから。

しかし、語弊覚悟で言うならば、そのエネルギーの注ぎ方については、見習うというか、参考になる?

盗撮を比較にしてしまうと、何もかもが変なことになってしまうが、ニュアンスは伝わっていると信じたい。

 

それと同じように、昔、自分が親にスーパーファミコンを隠され、それを探すエネルギーはすごかったが、そのエネルギーをサッカーに捧げていたら、名門高校の3軍ぐらいには入れたかもしれない。

人への恨みも、同じかもしれない。

日々、悲しい事件が起こるが、その恨みのエネルギーも、方向さえ変えられれば、力になるかもしれない。

自ら命を絶ってしまうエネルギーも。

 

そう考えれば、「目標」の方向性さえ変えられれば、注ぐエネルギーの矛先も変えられる。

恨みや悲しみといった、ネガティブなエネルギーは、エネルギーの大きさだけ考えれば、喜びや楽しみよりも大きいかもしれない。

だとするなら、その「目的や目標」さえ変えることができるなら、自分を満足させたり、誰かを助ける力になるかもしれない。

そんな事を、ブログを書きながら思っている。

 

息抜きは大事だが、目標を定め、そこにエネルギーを注いでいく。

テレビが見たい。ゲームがしたい。遊びたい。ダラダラしたい。漫画読みたい。電話したい。

あいつがうざい。こいつはキモい。言うことを聞かない。理解してくれない。わかってくれない。

 

そんな様々なエネルギーを、まるで虫眼鏡で火を起こすように、1点に集めていく。

そうしたら、そこから火を起こせるかもしれない。

ただの火事では困ってしまうのだが、それが夢や目標といった炎なのだとしたら、是非とも燃え上がらせたい。

 

が、残念ながら、言うは易し、横山やすし。

あ。行うは難し。

簡単にその炎は燃えてはくれないが、注ぎ続けるしかないのだろう。

諦めたくもなるだろうが、光を分散することなく、1点に集中し続けたい。

 

それでも燃えないかもしれないが。

その時は仕方ない。

そもそも燃えない素材に光を注いでいただけなのかもしれない。

 

だとしても、諦めた後も、そこはきっと暖かいだろう。

そこに手を当てて、頑張った温もりでも感じてみたいものだ。

結局、そこまで必死になったことはない。

だからこそ、今回ばかりは、逃げずに頑張ってみたい。

 

そんな事を思う、週末の金曜日。

1週間お疲れ様。

夕飯の準備をして、少し休んだら。

また少しだけ、光を注いでみよう。

 

疲れたけど。

ほんの少しだけでも。

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