淘汰されない。という

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地方移住して半年。

最初から感じていた部分はいくつかあるが、それが少しずつ整理されてきた部分はある。

今現在わかっているのは、「自分は馴染むのは無理かもしれん」ということ。

 

言葉の部分もあるとは思う。

方言や訛りについていけない部分もあるが、それはさほど問題ではない。

やはり、一番感じるのは「文化」なのだと思う。

 

同じ国内で「文化の違い」なんて、おかしい話だが、それを感じ、自分なりに整理している真っ只中だ。

はっきり言う。

地方問題の一つとして、そもそも「競争力」がない。

 

「競争」だなんて、今の時代にそぐわない言葉だ。

そう思うが、それはただの「戦わせたくない」「戦う必要がない」

平和ボケした日本が生んだ妄想だとも思っていて、自分は「競争なんてしない」と言い聞かせても、社会は容赦なく競争し合い、スクラップアンドビルドを繰り広げている。

コンビニやドラッグストア、歯医者や美容院なども、そんな類の一つなのかもしれない。

 

自然界ではごく当たり前に行われる「淘汰」が、人間社会では怒らない。

首都圏、特に都内では、容赦なく「淘汰」が繰り広げられ、会社も店舗も人間も、評価が低ければ、あっという間に居場所を失う。

全員が全員ではない。

狭くて古い部屋に、2人暮らしでもすれば、給与が安くても生き延びることはできるかもしれないが、そういう話はしていない。

 

前置きが長くなったが、その「淘汰」がここでは起きない。

競争がないから、都内のように締め出される事はない。

これを一番身近に感じたのは「ラーメン」

地方移住した時に、美味しいラーメン屋とやらを紹介してもらい、早速妻と行ってみたのだが、「???」という感じだった。

美味しいとも感じず、特別まずいとも言えない。

というか、「俺は今、何を食っているんだ?」とすら思った。

これは大袈裟ではない。

 

首都圏であれば、美味しくないラーメン屋に人は集まらない。

当たり前のことだ。

なのに、地方では美味しくなくても、人が入っている。

そして、それを「美味しいから」と勧められたのは、文化なのだろうか。

 

移住前の神奈川も、立派なラーメン激戦区だった。

どこのラーメン屋に行っても、特徴があり、美味しいラーメンが出てくる。

どこも美味しいから、決めては「好み」

それだけだったと思う。

 

結果、市内の3店舗ほど回った後。

お金がないのもあるが、ラーメンを食べなくなった。

その代わり、セブンで200円ほどのシーフードラーメンを食べることが増えた。

こっちの方が安上がりで、ハズレがない。

 

この地方「ディスり」をここで終えたいところだが。

残念ながら、まだある。

 

これもはっきり言いたい。

蔓延る、老人たちの権力と、村八分だ。

 

ろくに外に出たことがない老人たちが、我が物顔で権力を振るっている。

自分で建てたわけでもない施設を、自分の私物のようにルール化し、大声で怒っている。

「THE田舎」

これが田舎の真骨頂なのだと思う。

 

そりゃ、若者が離れるに決まっている。

うるせージジイとババアたちがタッグを組んで、思ってもない「若者のため」に、権力を振いたがる。

お前らがやっているのは、ただの「押し付け」

小さい日本の、人口の少ない県の、さらに小さい市の、さらにさらに小さい村で、その世界しか知らない奴たちが、「それが正解だ」と子供達に植え付けるのだから。

子供達は「可哀想」というしかない。

 

それが「うるせぇ」「ウゼェ」と感じたのなら、それはむしろ正解だろう。

そんな世界観の老人、大人たちに評価されるために「良い子ちゃん」を演じているのなら、それは本当に「可哀想」だと思う。

若者が出ていって、帰ってこないのは、街の魅力だけの問題ではない。

 

そこのお前。

そこのお前ら。

押し付け、支配し、自己満のために生きているお前らが、あまりにもウザすぎて、若者は帰ってこないのよ。

それを理解してくれ。

 

何が「地方創生」だよ。

結局、このクソ小さい所で起きている事は、この国にそのまま起きてるじゃねーか。

政治家はジジイしかおらず。

 

総理を決めますって。

金太郎飴か。

 

って。

この辺で、他人様への期待は終わりにしよう。

 

結局は、この問題を自分に置き換えないといけない。

まず、一つ考えられる事は、そんな「老害」たちに、自分の価値観を合わせる必要はない。

今は、一人でも生きていける時代になってきている。

 

もちろん、「社会」で、いろんな人と出会い、話すことは必要だし、楽しいとも思う。

けど、同時に「一人でも」稼げるスキル、準備が必要だと思うし、それはスマホ一つで出来る。

今のように、訳のわからん価値観を押し付けられ、権力が疎ましい時に、そこから離れても大丈夫なスキルが必要だ。

 

もう一つは、とっととそこから離れる事だろう。

世界は広いし、日本ですら広いだろう。

人生の中で、1年に1回引越しをしたとしても、全部回るのに47年もかかる。

 

別に、「地元」なんてものに固執する必要はない。

その土地から出たことない奴が、「東京はこんなだ」「首都圏は怖いぞ」とか言っていたら笑える。

確かに、犯罪や災害のリスクはあるものの、その穴から出ずに一生を終える方が、個人的には怖い事だと思っている。

 

もし、地方にいて、くすぶっているなら、自分ははっきり言いたい。

迷っているなら「東京に行け」

少なくとも、首都圏に行け。東京、神奈川、埼玉、千葉。

西日本の事はわからないけど、福岡や名古屋、大阪といったところも、きっと人が多く、その「淘汰」とやらを感じることができるのかもしれない。

が、いっそ東京にできてしまった方がいいと思う。

 

その華やかさと、愚かさなどなど。

様々な人間模様が楽しむことができるし、自分もその一人として、同じように感じることが出来るのかもしれない。

ただし、ノークレーム。ノーリターン。自己責任でお願いします。

 

地方が「平和」であることは良いことだ。

犯罪は少ないし、大地震が起きたとしても、学校や病院なども受け入れる体制があるだろう。

これを首都圏に置き換えたら、とてもじゃないが、あの人数を受け入れられるはずがない。

多くの命を見逃すことになるのは、容易に想像ができる。

 

それに土地の値段も安く、首都圏の半分の金額で、大きい家を建てることができる。

買い物も、そこまで不便ではない。

ロピアやオーケーのような格安スーパーはないけども、地元のスーパーも悪くない。

 

数は少ないけども、車を走らせれば、コンビニやブックオフ、セカンドストリート、イオンモールもある。

生きていくには問題ない。

 

「ただ…」

 

というお話なのでした。

 

首都圏に戻りたいか、戻りたくないかと聞かれたら「戻りたい」

でも、こっちでやれる事もあるし、こっちでやれるのであれば、そっちでもやれるだろう。

色々、口では毒を吐いたとしても、結局は自分の「意思と行動」の問題。

戻ろうと思えあ、いつでも戻れる。

 

でも、戦わずに、あっちがいい、こっちがいいと逃げ回ることが「無意味」なことは、これまでの経験でよく分かった。

他人に頼っても、良い事はない。

他人に期待しても、期待した答えが返ってくるとは限らない。

それは親であっても、同じことが言える。

 

最後は「自分」に依存するしかない。

「自分」が戦うしかない。

やるだけやってダメなのであれば、その時は、そそくさと、この土地を離れたいと思う。

 

もはや、いい加減「良い歳」なのだが。

チェッカーズくらい尖って行こうと思っている。

 

9月には寒すぎる東北の洗礼を受けつつ、そんな子守唄を頭によぎらせてながら、床につくとしよう。

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