頼りだったアマゾンフレックスは、9月はとうとうオファーが出ずに終わりそうだ。
首都圏ならあり得ないことだと思うが、タクシーと同じく、需要より供給の方が多いのかもしれない。
そんな事はさておき、そのアマゾン頼りから解放されるべく、新しい仕事をすることにした。
その仕事のスタートラインに立つためには、テストを受けて合格せねばならず、ここ1ヶ月は勉強の毎日だった。
とはいえ、この歳になって、お金をいただきながら学べるなんて、天国この上ない。
自分が仕事を教えている時は、研修費なんてものを払う意味がわからなかったし、そもそも「教わるのだから、払うのが普通だろ」くらいに思っていた。
今まさに、その状況が逆転し、お金をいただきながら研修を進めているのだが、繰り返しになるが、こんな恵まれた環境があっていいのか?と思うくらい恵まれている。
ある程度の年齢になってからは、お金をもらいながら研修するなんて事はなかったし、むしろ払って習得するものだった。
だから、とてもありがたい事と思うのと同時に、これが「普通」と認識するのは、おそらく無理。というより、このチョコレートにさらに追い砂糖をしたくらい甘い環境に身を委ねってしまったら、恐らくだが、自立するを忘れ、「会社が教えてくれない」「会社が時間を作ってくれない」と、以前の脳みそに戻ってしまう事を恐れている。
なんやら小難しいことを言いながら、結局は「俺は恵まれているぜ」というマウントにも聞こえてくるとともに、「俺は甘えたりしないぜ」みたいな格好付けも垣間見れるので、この辺で自分に浸るのはやめておこう。気持ちが悪い。
そんな具合で本日テストがあり、なんとか合格することができた。
テストのプレッシャーから解放されて、お昼には月見バーガーを食べるという暴挙に出てしまったが、取り組んでいるせどりをして帰宅し、今パソコンに向かっている。
ホッとしたところで、しばし封印していた「テレビやゲーム」と言いたいところだが、それは違う気がする。
「買って兜の緒を締めよ」
ただ一つ、通過しただけ。
別に、超難易度のテストだったわけでもない。
普通に勉強していれば受かるくらいの、優しいテストだった。
移住して半年。
やっとスタートラインに立てたような。
いや、スタートラインに立つ準備ができたような気がしている。
この後、また研修が続き、それが終わり次第、改めてスタートの合図が鳴るらしい。
ずいぶんと前に聞いた、スタートのピストル音も、もはや覚えてない。
先頭は見えないどころか、前の集団の面影すら残っていない。
スタートラインにいたであろう観客たちも、スタートライン手前であたふたしている自分を見て笑っていたが、それは白い目に変わり、いつの間にかいなくなった。
そして、スタートラインにポツンと残されているような、そんな気もしている。
追いつけるかどうかとか、今はそんな事は考えていない。
改めて鳴るであろうスタートの合図に備えて準備をし、合図がなったら、自分なりのペースで走り出すだけだ。
抜いた人は気にせず、抜かれた人も気にする事はない。
ただただ、自分のペースで、自分の最高速度で走り続けるだけ。
走り続ける間にあるであろう、美味しいお店、楽しいお店、綺麗なお姉さんたちに惑われずに、ひたすらゴールを目指して走り続ければ、自分が思っているゴールは、いつか見えてくるのかもしれない。
たとえ、それがゴールだとしてもレースは続くかもしれないが、その先に何があるのかは、行ってみないと分からない。
本当にゴールなのかもしれないし、まだまだ続きがあるのかもしれない。
けど、そんな事をスタートする前に考えても仕方ないこと。
自分ができることは、この歩みを「やめないこと」
それしかない。
珍しく気持ちよく排泄が終わりそうなので、この辺にしよう。
勝った時こそ、謙虚に。
そして、勝った時こそ、さらに一つ積み上げる。
そんな人生が継続できるように、今後も意識したいところだ。
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