金がないとか、できないとか

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アマゾンフレックスの支払いは、週払いで入ってくる。

おそらく毎週火曜日なのだと思うが、今週の収入は、なんとおまけがついて12000円ほどだった。

きっと、高校生のアルバイトの子の方がはるかに頑張って稼いでいる。

 

理由はあるとはいえ、アマゾンフレックスを始めてこれまでで、一番少ない。?

いや、全くオファー(仕事)がない週もあったから、そうでもないかもしれないが。

4月に地方に移住し、継続してきたが、7月頃から仕事が急激に減り、いよいよやばくなった。

結果的に、就職活動をした結果、正社員とは言えないものの、社会保険の加入と、最低限の固定給は確保ができ、あとは自分の成果次第なのだが、この仕事の詳細については、まだ確定しきれていないこともあるし、いずれにせよ、ペーペー中のペーペーなので、当分語ることもないだろう。

 

ふと思うと、2023年5月に仕事を退職し、1年以上が経過した。

40歳の旗が見えてきたところに差し掛かり、仕事をやめ、何もない土地にやってきた。

冒頭に話したアマゾンフレックスですら、1年経っておらず、他に2つ、ささやかな収入源があるが、これに関しても3ヶ月のものと、1週間のものと。

とにかく「新しいもの」ばかりだ。

 

これまで培った経験?能力?スキル?

そんなものあるのだろう。

接客業が長かったから、多少の人当たりの良さはあるかもしれないが、偉そうに売上だ、利益だ、マネジメントだ。

なんて、ふんぞり返っていた時のものなど、何一つとして活かされてはいないし。

そもそも、「コンビニ」なんていう、あまりにも小さすぎる檻の中で、猿山の大将(大将だと勘違いしていた)をしていたような「経験」なんぞ、クソの役にも立ちはしない。

 

ただ。

大企業だからといって、本社の社員が退職して何ができるって、何もできはしない。

コンビニのオーナーだろうが、店長だろうが、本社の社員だろうが。

その小さい箱の中で、偉そうにふんぞり返っている奴なんぞ、外に出たら何もできやしない。

それを分かっているから、外に出ない理由を一生懸命正当化して、今日もお互いを見下しているのだろう。

まだ退職して間もないのでね。

そんな情景が頭によぎってしまうのだが、もう自分はそこにはいない。

 

とんでもない前振りの中で、週払いの金額があまりにも少なく、仕事がない状況で、いよいよ支払いが滞りそうな状態だ。

朝起きて、振り込まれた金額を見て。

「あ、金。ないわ」

と、しっかり。そして潔く思った。

 

しかし、これは毎度言うように、「金がない」と言うなの「金がある現象」なのだ。

何を言っているのだと、万が一見た人は思うかもしれないが、そう言うことなのだ。

 

まず、「金がない」と言いながら、私はブログを書いている。しかもMacbook airで。

インターネットを使い、サーバー、ドメインも契約している。

そして、左側にはiphone13 PROmax。

右側にはゼロカロリーのアクエリアス。

テレビもあるし、PS5もある。

 

朝ごはんも、昼ごはんも、夜ごはんも食べて、風呂に入り、この後布団に入る。

雨も風も、虫も入ってくることはない(小さいのはしょっちゅうだけど)

この状況下で「金がない」

が、表現として正しくないことは、言うまでもない。

 

ただし、ジリ貧で、状況は悪化し続けている。

貯金も底をついているし、収支がプラスマイナス0のような日々が続いている。

だから、実際に「金はない」

けど、「ある」

 

あまりにも恵まれすぎていて、脳みそが腐り切っているだけで、お金はある。

「金がない」と言いながら、スマホを片手にマックを食うような世の中だ。

 

改めて、五人で住むには狭すぎる家を、まじまじと見てみると、人数の問題でもない気がする。

机には書類が山積みされていて、消える気配はない。

片付けられない本、おもちゃ、あらゆるものが散らばっている。

貧乏のくせに、物が多い。

逆の理論なのだろう。

「貧乏の方が」物が多いのかもしれない。というか、きっとそうなのだと思う。

 

自分を甘やかし、本来やるべきこと、やった方がいい事から目線を逸らし、大して努力もしないのに、自分のご褒美をあげる。

その結果が今なのだろうし、その血は脈々と子供に受け継がれているのだと思うと、自分はある種のモンスターペアレントなのかもしれない。

ただ手を出したり、暴言を吐かないだけで、過剰な甘やかしや、現状を把握せず惰性で生活することも、もしかしたらハラスメントの一部なのかもしれない。

考えすぎかもしれないが、そういった側面は、間違い無くあると思う。

 

むしろ、以前のように、月々生活するのに十分な生活費が入り、ある意味「余裕」を持って生きる日々の方が、その感覚の麻痺度を大きかった。

なぜなら、今になって必死になり、当時は何一つ危機感を抱いていなかった。

口では「備えなきゃ」とか「常に準備を心がけなきゃ」とか「絶対天狗になっちゃダメだ」と言っていたけども。

 

当時何一つ行動せず、このような状況を作り出しているのが、何よりの答えだろう。

「自分はそうはならない」

そう自分も思っていたよ。あはは。

 

ビンタが痛いことを、殴られてみたいと分からない。

殴られたことがあるのに、時間経過と共に、その痛みを忘れてしまう。

人間って、そんな生き物なのかもしれない。

 

そして、その痛みが事前に分かったり、一度知った痛みを忘れない人が、俗に言う「賢い人」なのだと思う。

だから、同じことを繰り返している自分が、「正真正銘のバカ」と言うことを、今胸を張って言える。

自虐ではない。

事実だ。

戸愚呂にも劣らない、100%中の100%。指弾撃ったろうかな。

 

もう。逃げ場はない。

火曜サスペンスなら終盤の見せどころだろうか。

もう、身を投げるか、堪忍するか、戦うしかない。

 

戦うのであっても、戦い方を知らないのだから。

無傷で逃げ切ろうなんて無理だろう。

堪忍して捕まるのもいいが、きっとその生活に慣れてしまったら、元の生活には戻ってこれないだろう。

身投げを考えたことはないが、この状況がツラいと思ったことは多々ある。

きっと「死にたい」のではなく、「生きたくない」のだと思う。

 

でも、そんな状況でも、光が全く見えないわけではないはず。

目をよく凝らして見れば、どこかに小さな光が見えるかもしれない。

「見えない、見えない」って、それは自分が目を閉じて、見ようとしていないだけではないだろうか。

 

「たとえ見えたとしても、何をしていいか分からない」

きっとそれも、誰にも分からない。

それが正しいとか、間違っているとか。

そんな当たり外れなんかに惑わされず、やってみるしかない。

 

人事を尽くして天命を待つ。

そんなものなのかもしれない。

 

やるだけやってダメなら、嫌でも諦めるのかもしれないし。

それでもなんか諦めないのかもしれない。

それは、やってみない限りは分からない。

 

だから、明日も必死に生きてみよう。

そして、なんでもいいからやってみよう。自分が思ったこと。

周囲のことなんて、一度気にせずにやってみたらいい。

家族が。子供が。色々理由を探せばあるけども。

たまには暴走したっていいじゃない。

 

ま、自分の場合は「たまに」ではないが、頻度で言えば大型台風くらいのだろう。

雨降って地固まる。

 

今日は、ない脳みそを雑巾のごとく絞って、ことわざを出している。

きっと、後で読み返したら、焼死体になるくらい恥ずかしいのだろう。

ま、それもまた人生って感じで。

美空ひばりさんでも聞いて寝ようかな。

 

ってほら、こんなに恵まれている。

 

自分はただの、不感症のマグロ野郎だっていう。

それだけの話だった。

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