「天上天下唯我独尊…」って、五条先生も言うていた。
けど、ことの始まりは仏教のお釈迦様で、脇腹から生まれ出て、7歩き、上下を指さして言い放ったらしい。生まれてすぐ。
生まれた時から歯が生えていたのか、ハフハフしながら言い放ったのか分からない。
そんな事はさておき。
天上天下唯我独尊。
この言葉が頭をよぎることがある。
別に何かを悟ったわけでもないし、呪術廻戦に影響されたわけでもない。
元々仏教は好んで本などを読んでいて、この言葉を知っていたが、頭をよぎる事はなかった。
この言葉の解釈はhとそれぞれなのかもしれないが、個人的な解釈は「自分以上、自分未満」という感じだ。
誰かと比較した自分ではなく、上も下もなく、「ここに我あり」ではないけども、そんなイメージだ。
生まれた時から、自分は一人しかいない。
宇宙の仕組みでは、自分と全く同じ性質のものが2つある場合は、どちらかが消えるのではなく、どっちも消えるらしい。だから、ドッペルゲンガーとやらは、あながち間違ってもいないのかもしれない。
人並みに生まれ、育ち、人並みに社会に揉まれて生きていた。
幸、不幸の度合いを比べるのはナンセンスだと思うが、極端な成功もなければ、極端な失敗もない。
どちらかといえば、失敗の方が多い。遥かに多い。
けど、今は自分の足で人生を歩んでいるように思う。
天上天下唯我独尊は、きっと環境や肩書きに左右されない。
どこにいても、どんな仕事をしても、どんな地位にいても、天上天下、自分でしかない。
極端なネガティブも、ポジティブもない。
会社内の、クソがつくほどしょうもない地位と歴で偉そうにしている奴には、到底知り得ない感覚だと思っている。
でも、これは仕事が長く続かない自分の嫉妬と、そんなような奴に嫌がらせされた腹いせなのだと思う。
会社で長くいること、地位を確立することも大変なことだと思うし、尊敬に値するものだと思う。
けど、そんな、どーのこーのも置いといて。
やっぱり自分は自分でしかない。
不甲斐なく、頼りない自分。
ルックスも良くないし、頭もよくない。
自分より優れた人なんて、腐るほどいる。
でも、そんな事を諦めて、改めて言う。
天上天下唯我独尊。
残念ながら、人に夢を与えられるような能力は持っていない。
だけど、家族のために皿を洗うことはできる。
何人もの人を幸福にはしてあげられない。
けど、子供達を抱きしめることはできる。
多くの人にお金を配ることはできないけど。
妻と協力して、なんとか生活していく事はできる。
そして、それしかできない。
これ以上、以下もない。
それがじぶんなのだと思う。
そんな自分を、自分なりに向上させていく。
理由なんてない。
自分だから。
自分が成長を望むから。
ただそれだけ。
飛んでも跳ねても、自分でしかなく。
頭を抱え丸まって、尻を隠せなくても、自分でしかない。
だから、自分を精一杯生きることにする。
自分ができることを、精一杯やろうとする。
結果は望んでいない。
後からついてくる。なんて、気休めの言葉も使わない。
どうなるのか。
そんなこと、結局はいつだって分からなかった。
明日の天気すらまともに分からず、明日の何時ごろお腹が痛くなるかも分からない。
分からないことばかりだが。
わかることは、自分は自分でしかないこと。
最後は死ぬこと。
この二つくらいだろう。
だから、ひとまず今日を生きよう。
そして、明日が来るなら明日を迎えよう。
組織に求められているなら、組織に求めらるようになればいい。
個人なら、個人で生きればいい。
なんにしたって。
それにしかならない。
なれないのだから。
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