12月に入りまして。
そして、4日は娘の誕生日でした。
夜はお寿司にしようと予約をして、せっかくだから、あら汁でも作ってみようと試みたところ、ネギを切っている最中に、小指ごといっちまって。
切った瞬間に「あ。やばい」と止血したものの、なんとか出血が収まったのは1時間後だった。
「今月は毎日ブログを書こう」
そんな気合は小指と共になくなり(あるけど)、あっという間が過ぎ去っていく。
今の所、小指でタイピングをしても、痛くはない。
違和感こそあるが、キズパワーパッドが守ってくれている。
が、やっぱまだ、奥が痛い気がする。
そして、この料理中のケガの原因が問題だ。
慢心。
これに尽きる。
ネギを切りながら、「おれ、意外とできるじゃん」と思った矢先の出来事で、これを「慢心」と言わずに何というのだろう。
これまで、料理中に怪我をしたことはなかったから、自分の中では「慣れた」と思っていたのが間違いだった。
いや、慣れてはいたが、「上手かも」と思ってしまった自分を、包丁で刺してあげたい。(違うか)
そう考えると、世の中の「一流料理人」と呼ばれる人のすごいところは、テクニカルな包丁さばきでも、盛り方でも、味付けでもなく、健康かつ怪我をせずに、そこに立ち続けていることだろう。
そんな事を考えさせられた上に、それは一流料理人に限った話ではなく、人間1人1人に当てはまる事なのだろう。
料理人も、お医者さんも、アスリートも、会社員も。
健康を維持して、そこで働き続けることが出来る。というだけでも、当たり前のように思えて、結構大変なのではないかと思う。
だから、「あの退職」から1年半。
稼げてはいないが、「フリーランス」として、1年以上稼働できているのも、結果としては案外悪くないのかもしれない。
そして、「あの」と思っていた事すら、時間経過と共に薄れ、もう薄っすらとしか見えなくなっている。
退職した当初は、その現状に苦しみ、怒りや悔しさのようなものが溢れていた。
でも今は、正解かわからないけども、自分の道を見出し、「自分の足で」歩いている。気がする。
悲しいことに、妻におんぶしてもらうことも多々あるのが、不格好でも、何とか歩こうと。前に進もうと。
もがいているのが「今」なのだと思う。
こうやってブログを書いていると、「何が言いたかったんだっけ?」と、必ず自問自答する。
大体30分くらい書くと、一度ここに辿り着く。
しかし、毎度同じ回答が返ってくる。
「意味などない」
「うまく書く必要もない」
「Just do it.」
ナイキは付け加えたものだが、このブログに「完成度」も「正解」も「答え」もありはしない。
ただただ、無心でパソコンに向かい、インターネットという世界に、脳から溢れる日本語を解き放っていく。
隣には、口をとんがらせて「ハイキューREMIX」を、無言で読んでいる次男がいる。
狭い家のリビング横にある、畳の部屋には、洗濯物と脱ぎ捨てられたランドセルが、大量殺人が起きたかのように横たわっている
これが我が家の「今」であり「リアル」なのだろう。
そんな変哲もない一日と空間に、この上ない「幸せ」とやらがあるらしい。
もうすぐ長男も返ってくるのだろう。
そして、また夜になり、1日が終わっていく。
その繰り返し。
なのに、1日たりとも、同じ日がないなんて。
今日は10日。
外は吹雪。
人生初の「暴雪」を目の当たりにしているところだが、これが「東北の冬」ってやつなのか。
だとするなら、北海道なんてレベル違いだし。
沖縄は今日24度あるらしい。
世界も広いが、日本も広い。
生き方はさまざま。
考え方もさまざま。
お迎えがくるその時まで。
「自分の」人生を生きたい。
「自分の」
そう会社のでも、お前のでもない。
「自分の」人生。
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